秋が旬の食材
銀杏
銀杏の生産地は濃尾平野の西方、木曾川に接する祖父江町で、全国の七割ほどを産出しています。町を訪れると、イチョウ畑というよりもイチョウの杜が点在し、垣根を巡らした庭には必ずというほど数十年以上は経たであろう大木があり、それらが一斉にたわわに実らせた銀杏に出会うと、いささか目のくらむような感動を覚えます。
祖父江町によると、イチョウは燃えにくいため防災用に、また伊吹おろしから屋根を守る防風のために江戸時代に植えられたそうです。銀杏生産を目的としたイチョウ栽培は百年程前からで、成功した理由は、まず伊吹おろしが逆に木の軟弱成長を抑え、貯蓄養分を増したこと。そして夏の高温と高い地下水位が実を大きくし、上質の銀杏栽培に結びついたといわれています。
祖父江町近在の銀杏には、久治、藤九郎、金兵衛、栄進などの品種があります。中でも、藤九郎は食味が良く粒が大きく、貯蓄性もあるため、市場価値が高いものです。茶
碗蒸し、がんもどき、土瓶蒸しなどに使う銀杏は脇役ですが、酒の肴によく合う煎銀杏は、風味の良い主役となります。
晩秋になり、よく実った銀杏はもっちりとして旨みも深く、十分に茹でて餅のように搗き、団子として薄葛仕立てでいただきます。
十月の旬の情報「花菊」
明治初期に短期間でありますが、「菊は天皇家の象徴であるからこれを食してはならない」というお達しが秋田、青森、新潟地方で非公式に出たことがありました。特に、高貴な色とされていた紫の菊は「食べるなどもってのほか」と強く禁じられていました。そこで人々はせめて黄色い菊だけでもと、これにあえて「食用菊」という名をつけたところ、黄色い菊だけは食べることを許されたといいます。すべての種類の菊が食べられますが、今でも「食用菊」というと黄色い菊を指します。同じく今でも紫色の菊は「もって菊」と呼ばれ、最もおいしい菊とされています。
元来、菊は中国から観賞用として入ってきたものですが、中国には食べる習慣はありません。
料理法は酢びたし、ゼリーで寄せて酢みそで食べる菊寄せ、甘く炊いた菊そぼろ、塩漬け、揚げ物、てんぷら、とさまざまあり、特にてんぷらは花も葉もいただけます。秋口に菊の葉のてんぷらをたくさん食べると冬に風をひかないといいます。茹でる時は湯に酢を少々加えると鮮やかな色に仕上がります。秋の夜長に、菊の花びらをひとひら浮かせた酒をゆっくり味わうのも風情があってよいものです。
名残の食材「茄子」
「親の意見となすびの花は、千に一つの無駄もない」と小さい頃、こう言われて育てられた覚えのある人も多いのではないでしょうか?茄子は、百個の花が咲いたら、百個の実がなり、しかも滅多に途中で落ちることがありません。一輪たりとも無駄な花が咲かないところが縁起がいいと、一富士、二鷹、三茄子と初夢に見るとよいものとされています。
茄子の種類は何十とあり、京都の加茂茄子、会津の丸茄子、仙台の長茄子、大阪の水茄子、松戸の千成、など全国に茄子の名産地があります。
なごりの時期は味がしまって美味しくなり、焼いても煮ても漬物にしてもよいでしょう。
きのこやどじょうと一緒に煮ると、実に秋らしい一品となりますが、アクが強く消化が悪いのが難点です。したがって「秋茄子は嫁に食わすな」は親切心からの言葉です。
鴫(しぎ)焼きというのをご存知でしょうか。殺生を嫌う禅宗のお坊さんが、鳥を食べたくなると茄子にみそを塗って焼き、けしの実をふりかけて鴫に見立てて料理をしたものです。
食欲の秋を彩る山海の幸
秋の味覚は豊富です。
春の山菜に対して松茸、湿地などの茸類と葡萄や梨、栗、木通などの果物、魚は鯖、秋刀魚、鰯、秋味(鮭)などの庶民の魚(下魚)が旬になります。
土瓶蒸しに欠かせない松茸、京都の祭(十月二十二日は時代祭)につきものの鯖ずし(大阪風はバッテラ)、塩焼の元祖ともいえる秋刀魚の塩焼など、食欲の秋を彩るものは枚挙に暇がありません。
佐藤春夫の詩「秋刀魚の歌」も有名ですが、秋刀魚は目黒に限るといったのは落語の中の将軍家光とか。家来を連れて鷹狩りに出た殿様が、鷹狩りの名所であった目黒の百姓家で、空腹を満たすのに「秋刀魚で一膳茶づりたい」と申し、生まれて初めて食した秋刀魚の味が忘れられず、後日家臣に秋刀魚を所望したところ、蒸して脂を落とし小骨を抜いて上品に料理したのが出てきてがっかり。
いずれから取り寄せたものかと問えば、日本橋魚河岸というので、「それはいかん、秋刀魚は目黒に限る」と。
秋刀魚焼く煙の中の妻を見に (山口誓子)